アマデウスについて思ったことブワーッしました!

2017-09-25(月)-18:00
舞台アマデウスを見てきました!!
たまらんので思ったことブワーーーします!!(^ヮ^=)

ネタバレ含むので観てない人・見たくない人は見ないでね!









モーツァルトはただの変な人じゃなかった。彼は儀礼や常識に縛られる人たちを見てとても窮屈だった。「みんなも本当は思ってるでしょ?式たりなんてクソ喰らえって!」っていうセリフ(ニュアンス)に何気に全てが詰まってた気がする。モーツァルトの頭の中にはきっと当たり前に人生を彩る音楽が流れていて、それなのに周りの人たちはいつもつまらなそうで僕の音楽を聴けば楽しい、世界が変わるって自負してたし死ぬまでそれは譲らなかった。それが生きてく上で愛とか寂しさとか孤独に絡まっていってそしてサリエリのせいでモーツァルトの人生は激しく蛇行した。サリエリのせいだけってのは違うけど。自分の才能を自分の品のなさで破滅させたって意見は最もかもしれない(あらすじを調べた時に知恵袋でそう感想を述べている人がいた)けどそれは第三者からの意見に過ぎなくて、愚かかもしれないけど彼が生み出す音楽は紛れもなく"音楽"で美しさの世界にはそれ以上もそれ以下もない。だから芸術は清くて美しい。儚くて切ない。


アマデウスはある種人間ではない芸術家と真人間の人情劇なんだ。ある種人間ではないっていうのはサリエリとの比較でね。サリエリは劇中ではどちらかというと凡人というか本当に人間らしい人間で自分より優れた人間を見て悔しい、羨ましい、憎い、消えてしまえばいい、殺してやるってモーツァルトの前では絶対にそんな素振り見せなかったけど腹の中は真っ黒で実際に殺す人は少ないまでもそう思ったことがある人は今の世の中にもたくさんいるだろうし何より彼は自分とモーツァルトを比較した。比較して自分の方が劣ってるという考えにのめり込んだ。そこがモーツァルトとの1番の違いというか、どうしても生きてく上で色んなものを比較してしまうのが人間の性だと思うんだけどモーツァルトは比べて悔しがってもそれでも自分の音楽を信じる気持ちの方が強かった。そこがある種人間らしくないというかまさに天才というか。そしてそんな周りを気にしない、というより周りの世界より自分の世界の方がいつまでも濃くいれる人が真の芸術家になれるんじゃないかなぁ、とか思った。



でもそんな人間を超えたようなモーツァルトも最後の最後で父親に認められなかった、認めて欲しかったという心の根底にある気持ちが蘇って子供帰りするところで一気にモーツァルトの人間味に襲われて胸が締め付けられた。涙が出てきた。モーツァルトも人間なんだって。やっぱりどんな人にとっても親は絶対でモーツァルトが唯一何かに縛られていたとしたらそれは父親なのかもしれない。









という感じで最後の最後にモーツァルトの人間味、そして照史くんの「パパ…」という声の生々しさにやられてあと3日は余韻で寝込もうと思います。松本幸四郎さん、大和田美帆さん、そして照史くん本当に最高だった!!!!今日の日はお疲れ様。最後まで健康に楽しく駆け抜けてね!おやすみなさい。(駄文すぎてごめんね)